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あなたの疑問に答える民衆法廷Q&A
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Q1 民衆法廷って何ですか? A 民衆法廷は、平和を願う民衆が、自分たちの手で作り上げていく平和のための法廷です。国家が民衆を逮捕したり投獄する「権力法廷」とは対極にある新しい法廷運動の試みです。 第1に、民衆法廷には、権力による裏づけがありません。つまり、国内法上の正当性もなければ、国際法上の正当性もありません。国民主権を基礎とする裁判でもなければ、国際機関による裁判でもありません。民衆法廷は、権力による戦争犯罪を許せないと考える民衆が集まって、勝手に開く法廷です。 第2に、民衆法廷には、強制力も拘束力もありません。被疑者を逮捕することも、家宅捜索することもできません。被告人を法廷に勾引することもできません、仮に有罪判決を出しても、監獄を持っているわけではありませんから収監もできません。つまり、被告人に対して何もできません。 第3に、民衆法廷は、国家権力が行うようなリンチ裁判ではありません。民衆法廷は、国家が法的正義をないがしろにしている現実に対する批判として、少なくとも守られるべき価値が何であるのかを示すものです。事実と論理に基づいて、国家や国際機関に国際法を守らせる運動です。もちろん、騒乱状態で行われる「人民裁判」とはまったく別物です。 A 民衆法廷をどのように進めなければならないという決まりはありません。民衆法廷自体、その歴史は浅いものです。ラッセル法廷、クラーク法廷、女性法廷という優れた前例がありますが、民衆法廷とはどのようなものであるべきかについてのまとまった研究も存在しません。 第1に、アフガニスタン国際戦犯民衆法廷ICTAでとりくまれた連続公聴会方式です。これはクラーク法廷に学びつつ、さらに目的意識的に再構成して、各地における公聴会を通じた証拠収集と分析の場をつくってきました。ICTAは東京、大阪、千葉、三多摩、神奈川、東海、京都、兵庫、広島、沖縄、イスラマバード(中止)、フィリピン、学生、枚方、大阪大学の各地の民衆の努力で証拠を積み上げてきました。 第2に、女性国際戦犯法廷に学んで、国際法の理論をしっかりと追求することを考えて準備してきました。侵略の罪、戦争犯罪、人道に対する罪の解釈に関して、現代国際法の水準に立った議論を展開します。 第3に、民衆法廷では前例のない、新しい試みとして、ICTAでは手続き証拠規則を準備しました。刑事訴訟法に当たる規則です。ICTIでも準備します。 A ICTIは民衆法廷です。それに対して、東京地裁や大阪地裁といった裁判所で行われる法廷は権力法廷です。両者は、単に違う法廷という関係ではありません。その立脚点はまったく異なりますし、その原理は対極にあります。 第1に、国家の法律、または国際機関の決議によって作られたという意味で、国家権力や国際権力による正当化根拠をもっていることです。 第2に、従って、被疑者を逮捕したり家宅捜索したり、被告人を法廷に勾引したり、有罪判決が出れば刑務所に収監したりする権限を持っています。つまり有無を言わさぬ実力行使をする法廷です。 第3に、権力法廷は継続的恒常的に存在する組織としての法廷です。そこには独特の「文化」が形成され、その「文化」を共有しない者は敬遠または排除されます。 A これまでの民衆法廷は、ラッセル法廷にしても、クラーク法廷にしても、女性国際戦犯法廷にしても、弁護人をつけていません。 第1に、民衆法廷には、被告人に弁護人を付さなくてはならない理由がないことです。人身の自由や適正手続きの観点では、権力法廷における刑事裁判では、被告人の意思にかかわらず、逮捕、勾留、強制捜索が行われ、被告人は法廷に出頭させられ、有罪となれば場合によっては刑務所に収容されます。民衆法廷では、被告人にこのような身柄拘束などが行われることがなく、被疑者・被告人の人身の自由に対する実力行使は一切ありません。 第2に、適正手続きのうち、被告人の防御権という観点については、防御権の機会は認めています。起訴状を送付し、出廷を促しています。それを越えて、被告人との代理関係のない弁護人をわざわざ法廷が付すことはしません。 第3に、民衆法廷の審理において、弁護人の活動を想定することも困難です。ICTI被告人ジョージ・ブッシュ大統領、ブレア首相、小泉首相などの立場は、ICTIそのものを一切認めないことは言うまでもありません。ICTIを認めないブッシュ、ブレアや小泉に、ICTIにおける弁護人を付すということ自体が、意味不明の事態となります。 第4に、訴訟の論点を明確にするという点では、ICTIは弁護人に代えて、アミカス・キュリエ制度を採用しています。欧米の法廷で採用されてきた「法廷の友」としての専門家の鑑定や証言です。 もともと「裁判というからには弁護人が不可欠だ」という考え方には何ら根拠がありません。弁護人のいない法廷はいくらでもあります。 第1に、歴史的には長い間、刑事訴訟は裁く者と裁かれる者の二面構造でした。江戸時代の奉行による裁判ドラマを思い出してください。当事者(検事と被告人)と裁判所という三面構造は近代的な法廷でようやく確立したものです。 第2に、近代法でも、その基本形態は本人訴訟でしたから、弁護人は存在していません。法律その他の専門化に伴って弁護人制度ができあがっていくのです。 第3に、今日でも、一部の刑事裁判(必要的弁護事件とされる重要事件)以外は、弁護人がつかない方がはるかに多いのです。即決裁判や略式裁判といった例は「例外」ではありません。 第4に、旧ユーゴスラヴィア法廷におけるミロシェヴィッチ裁判に見られるように、これは本人の意思によりますが、弁護人なしで法廷が進行している実例があります。 以上のように「裁判というからには弁護人が不可欠だ」という考えは単なる誤解です。 |