米英によって推進された大量虐殺−対イラク経済制裁1990−2003
クリスチャン・シェラ−(広島平和研究所教授)
13年間にわたって米国が国連の経済制裁の仕組みを操って大量虐殺を引き起こしたことに関して公の議論がなされるようになったのは、その制裁によってすでに150万人もの子供や幼児の命が失われてしまった後になってからである。13年にわたる歴史上もっとも過酷な安保理制裁は、サダムフセイン政権を排斥しそこなったばかりか、むしろその政権を強化してしまった。1990年8月から2003年5月までの対イラク経済制裁は、公式には国連と言う世界の平和組織である国連の傘の本で行われたのだが、イラク社会のもっとも弱い部門に壊滅的な影響を与え、独裁政権の悪行のために国民全体が集団的に処罰された最も残虐な事例の一つとして記憶されるであろう。
この無期限の経済制裁は、しばしば報道されているように1991年に課されたものではない。 それは、1990年8月に国連安全保障理事会が、イラクのクウェート侵略に対して国連安保理決議661号を採択して、医療目的に限定された品や人道上の食料物資を除く全ての輸出入品に包括的に禁止令を発したことに始まる。 その決議の包括方式によってその悪用が可能になった。実際には、以下に述べるように言及された例外事項も尊重されることはなかった。国連の経済制裁処理が、特有の官僚主義的な手続きを踏むことで、米英政府は何十万人もの命救ったかもしれない決定的な輸入品を禁止したり遅らせたりする可能性を手にした。
2003年5月、国連安保理は、13年前に自分達が課した経済制裁を解除した。これは、1990年8月2日の国連安保理決議66号第3項が達成された直後に失効すべきであった決議の意味に真っ向から背反するものである。というのも、その条項は、「イラクが即時無条件に全ての軍隊を1990年8月1日の時点に位置していた地点に撤退すること」を要求しており、また、決議661号第11項は、「この条項を議題に残し、イラク侵攻に早期に終止符を打つ努力を継続する」としている。イラクは1990年8月2日に12万の兵力と300台の戦車を擁してクウェートを侵略した。 1月17日に米国が率いる連合国がイラク空爆を開始し、それは74日間続いた。 イラクは1991年2月26−27日にはクウェートから撤退して両決議を履行した。撤退中の軍隊はクウェートとバスラ間の「死の高速道路」で米英空軍によって容赦なく殺戮された。 これは東京大空襲以来一回の空爆としては最大の殺戮で、10万人以上のイラク兵士、パレスチナ・クウェートの民間人が3月9−10日の夜、劣化ウランと他の爆弾によって焼き尽くされた。
対イラク制裁解除は、イラクの国と石油を支配する権威を米英に与えることと繋がっており、しかも撤退の日付は明示されないままである!経済制裁は解除されたが、殺人は続くのである。 まだ終わっていない2003年のイラク戦争の文脈で、民間人及びインフラへの攻撃の規模を考えれば、経済制裁の結果は倍化され、かつてないほど壊滅的なものになるであろう。究極の曲解は、イラクの石油輸出計画によって蓄えられ、過去において救命のための輸入品に使われたかどで止められた5500万米国ドルを米英が費やせるということだ。
以後述べる恐怖にもかかわらず、肯定的な動きもおきている。最近取り上げられている肯定的な計画の一つは、ブッシュとブレアを人道に対する罪及び約20の国際法違反のかどで告発しようと言うものである。私の見解では、この間選出された国際刑事裁判所の検事は、経済制裁の実行、違法な放射能兵器及びクラスター爆弾や燃料気化爆弾のような大量破壊兵器の使用、1991年以来、米英がイラクにおいて犯した民間人に対する攻撃全般、これらの人道に対する犯罪を告発しなければならない。しかし、それは不可能にされている。さらにベルギーの国際司法管轄権法も最近完全に無効にされてしまった。ブッシュ・ブレアの責任を問う唯一の道は民衆法廷である。(この点について詳述する時間的余裕はないので、私がハンブルグ会議に提出する「米英のイラク侵略の責任追及の展望」という論文を参照してほしい。)
幼稚で感情的なアメリカメディアの報道によって、サダムフセインは悪魔の独裁者、悪の権化として描かれ、米英による対イラク経済制裁がもたらした大量虐殺についての真剣な議論を歪曲してきた。サダム・フセインがまさにそのような資質を有しているがために、彼は1990年まで40年間にわたってCIA-DIAに道具として使われ、ついにはグラスピー米国大使によってまんまとクウェート侵略のわなにはめられたのだ。今年3月20日以降の多くの信頼できる報告によれば、イラク人の圧倒的多数は、「救済された」とは感じておらず、むしろ侵略され、占領されていると感じており、彼らは侵略者をできるだけ早く撤退させたいのだ。
(中略)
暫定的な結論
イラク侵略と占領の意味は何か。石油のための戦争は、米国の優位と覇権(1930−40年代のファシストの企みと類似している)を求める過激なネオコンたちのイデオロギー及び人種差別政策と一体のものである。米国はパンドラの箱を開いた。 イラク国内における無政府状態、中東全体の不安定化はもちろんのこと、全世界からの敵意を刈り取ることになるであろう。イラク侵略はすでに国際テロリズムを促進している。
今回の侵略ほどほぼ全地球規模で糾弾され非難されたものはない。米英の隠された目的と犯罪が世界により明らかにされるにつれて、反応はさらに激しいものになるかもしれない。メソポタミアに対する米英による攻撃は(千年前の)モンゴル人によるものよりもひどいものだった。8000年の歴史を有するメソポタミア文明の遺産の値段をつけよもないほど貴重な展示物を含む組織的な略奪行為、130箇所の公共施設の火災とインフラの破壊。これら全てのことは関連しているとみなければならない。それは2003年に始まったのではない。1991年から2003年までの大量虐殺、民衆殺戮、幼児殺戮を経て、大量殺人と「文化破壊」があったのだ。
13年以上にわたって150万人ものイラク人が、米英が推進した経済制裁体制(いわゆる「輸出入禁止」という言い方では言い尽くせないものだ)によって、意図的・計画的に大殺戮された証拠は大量にある。経済制裁は、イラクとの全ての通信・交流を完全に停止させたことを意味しただけでなく、大量殺人を意味していた。1991年以降、米英によって犯された犯罪は、20世紀におけるもっとも忌むべき大量虐殺事件の一つである。
1990年から2003年までのイラクにおける米英による意図的・計画的大量虐殺の証拠に関して、主要な議論は、水道施設を故意に破壊したこと−これは、それ自体が、重大な犯罪であり、戦争法違反である。−で、これはさらに、「イラクの子供たちをまさに意図的に殺す」(デニス・ハリデイ国連イラク人道支援調整官の発言)ために、水道施設損害の修理に必要なあらゆる方策を封じたことでさらに事態は悪化したのだ。さらに、経済制裁の駆使によってイラクの子供達が大量殺戮されたことが、「それだけの価値がある」こととして、米国の国連代表によって追認されている。イラクにおけるこの大量殺人はNGOはもちろんのこと国連諸機関の多数の報告によって調査され確認されている。
何をなすべきか?
米英の戦争犯罪者たちに反対して、以下の目的のいくつかに基づいて(試験的な)、世界規模の連合によって脅威は克服されうる。
1、平和運動は、全世界で、ベトナム反戦以来の、普通の市民からの甚大な支持を得た。平和運動は社会的正義、環境保護、女性運動など他の諸運動との共通の基盤を追及すべきである。
2、市民が主導権をとって、軍縮、貧困撲滅、諸民族間の国際連帯、人道に対する犯罪を裁く取り組みを推進すること。
3、緊急の課題の一つは、冷戦崩壊後失われた軍事的・政治的均衡を取り戻すことである。米国の無制限の軍事力は世界平和への脅威である。米国は容認しうるレベルまで軍事予算を削減すべきである。どの国も軍事目的にGNPの0.7%以上支出することを認められてはならない。
4、多くの国で、すでに米国製品のボイコット運動がインパクトを持ちつつある。
5、国連は憤慨を本当の言葉を返して公言しなければならない。世界平和に関する地球規模での統治が緊急の課題であり、地球社会の生き残りのために焦眉の課題である。
6、国際法(地球規模の規範)が尊重されなければならない。 ブッシュ・ブレアを戦犯として民衆の独立法廷およびICCで裁く幅広い基盤の運動が開始されなければならない。−ICCの場合、法的には、ブレア、フーンらは問題ないが、ブッシュ、チェイニー、ラムズフェルド、ウォルフビッツらは困難を伴う−私が懸念するのは、犯罪がおかされているのにICCが、さらに国連も同様に傍観者であり続けていることである。それらの犯罪が対イラク国連経済制裁のケースのように誤って避難されているにもかかわらずである。
7、どの国際的機関もイラクのケースを取り上げようとしていない。残された唯一の可能性は、独立した国際法廷を組織することである。運動は勢いを増している。これまでのところ、公聴会が米国、ベルギー、日本、トルコで開催される予定である。